「死海文書の封印を解く」を読む その3

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前回は「死海文書の封印を解く」でかかれていた死海文書の内容を簡単にまとめてみました。

今回は「死海文書の封印を解く」の後半の部分を紹介しようと思います。

 

「死海文書の封印を解く」ベン・ソロモン著(KAWADE夢新書)は、古代ユダヤ教の歴史から始まり、死海文書の発見の経緯、死海文書の内容、クムラン共同体の正体、イエス・キリストの秘密、死海文書の謎、死海文書隠蔽説の真偽、とつづいていきます。

今回は「クムラン共同体の正体」からです。

クムラン共同体の正体

共同体ヤハドはクムラン遺跡と洞窟に密接な関係があったと思われている。

共同体ヤハドは、当時はクムランだけではなく、イスラエル全土にいたと考えられ、その主要な一部がクムランに定住していたとされる。

1998年当時の学界の定説では、死海文書のオリジナル本を書いたのは、当時のユダヤ教党派の一つで、おそらくエッセネ派の著作であるとみられている。

しかしエッセネ派についての資料が少なく、エッセネ派自体がよくわからない存在であったため、クムラン共同体とエッセネ派を結びつけることがすんなりといかないそうです。

「死海文書の封印を解く」では、2000年前のユダヤ社会を動かしていた主な党派についての情報をできるだけ集め、比較して探っています。

イエスの秘密を探る

死海文書の発見が欧米社会に与えた衝撃の大きさは、死海文書の公開がかなり遅れたことでも明らかである。

死海文書の発見によって、キリスト教の基本的な教えがイエスによるオリジナルではなく、ユダヤ教の一派の教義を引き継いだものではないかという可能性が出てきたのである。

新約聖書の四つの福音書には、イエスの生涯と言動が詳しく記録されている。

しかしイエスの12歳ごろから30歳までの18年間の行動はいっさい書かれていない。

空白の18年間に、どこであれほどのユダヤ教の知識、知恵を得たのか?

この空白の18年間の謎を、死海文書が埋めることになる可能性がある。

この章では、死海文書とクムランの地が、初代キリスト教にとっていかに重要な部分をもっていたのかを探る。

残された謎に迫る

死海文書の不思議なところは2点ある。

死海文書はいつごろ書かれたのか、死海文書はどんな人達によって書かれたのか、の2点である。

現代は科学的測定方法が進歩しているので、かなりの精度で古代資料の作成された年代がわかるようになっている。

しかし、資料の内容がその時代にできたものかどうかはわからない。

もう一つの測定方法として、死海文書に登場する人物名をある時代の歴史的人物と同定して、資料がいつごろのものか推定する方法がある。

「死海文書の封印を解く」では、この二つの年代推定方法で話をすすめていきます。

「死海文書隠蔽」説の真偽を追う

死海文書が発見されたとき、考古学における20世紀最大の発見といわれた。

しかしその後どうなったかは、専門家以外にはわからなかった。

いや、専門家でさえも死海文書に近づくことは難しかったそうです。

10人たらずの一握りのグループに資料の大半が独占され、死海文書発見後、40年あまりもの間、不当にその公開が延ばされてしまいます。

死海文書は、キリスト教のルーツといわれるユダヤ教一派と密接な関係がある古文書であるため、欧米のキリスト教社会を震撼させる可能性を秘めているのです。

この章では、死海文書が一般に公開されていく過程を説明していきます。

 

「死海文書の封印を解く」をこうして改めて見直してみると、大変興味深い内容がつまっていた本だと気づきます。

簡単なユダヤ教の説明からはじまり、死海文書の発見、一般に公開されるようになった経緯。

死海文書の内容、世界最終戦争(ハルマゲドン)や2人のメシア。

イエス・キリストの空白の30年。

このような内容がわかりやすく書かれています。

死海文書の発見により、聖書にも書かれていないキリスト教成立期の謎が次第に明らかにされつつあります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

皆さんに嬉しいことが起こりますように。

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